ポーランドの繊維産業の歴史は古く、1950年代に繊維産業が重点産業とされ国の計画経済のもとでこれらの産業に優先的に資材が投入されたことに始まります。当時ポーランドで発達した繊維産業は、原糸、原布から織布、縫製、染色まで全工程を工場に持ち、染料、繊維機械さえも自給するフルセット型でした。ところが、1989年に共産主義と決別し、西欧型の市場経済化が進んだことにより90年代以降は「縫製」以外の工程が輸入に押しつぶされて衰退していきます。
繊維機械の減少、原糸や原布の縮小、染料の減少などが進む中、繊維産業の構造は「原料を輸入し、それを縫製加工し輸出する」という加工貿易型へと変化していきました。現在では、先進諸国の有名ブランドへの「OEM供給」を行うなど、私たちの知らないところで西欧のアパレル産業を陰から支えています。
そんな長い歴史の中で培われた伝統の技術は、現在も至る場所で継承されています。そんな伝統を受け継ぐポーランドの古都を、次にいくつか紹介します。
80年代初頭より繊維産業の町として急速に発展し、ポーランドのマンチェスターと言われるほどに繁栄しました。この頃のウッジの様子は、アンジェイ・ヴァイダ監督の映画「約束の土地」にも鮮明に描かれています。
90年代に入り市場経済が導入されると、他国との価格競争に敗れ次々と工場が廃業。現在、ウッジには主要な織物企業は残っておらず、いくつかの小規模企業が外国向けへの生産を行っています。現在でもいたるところに、当時の繁栄を思わせる赤レンガ工場がいくつも残っています。
次に紹介するのは、観光地としても有名な都市「クラクフ」です。クラクフは、17世紀に首都がワルシャワに移るまでポーランドの首都でありポーランド文化の中心地として栄えた街でした。そんなクラクフ旧市街の中央市場広場にある織物会館は、14世紀に織物の交易の場として栄えた歴史ある建物です。その一帯の旧市街は現在では美しく整備され、ポーランドの観光名所として広く世界に知られており世界遺産にも登録されています。
この村のレース編みは200年以上の伝統を誇り、エリザベス女王や前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にも献上されたことがあるほどの逸品です。
現在でも、コニャクフ村で生産されたレース製テーブルセンターは世界各国の大統領やVIPなどのテーブルにも飾られています。村では、古くからドレスなどの衣裳の飾りやテーブルクロス、カバーなどにレース編みが使われ、現在でも、村の女性の大半がレース作りに携わっていると言われています。レースを編めずに嫁入りはできないといわれるほど、母から娘へと代々受け継がれてきたレース編み。ところが、そんなコニャクフ村のレース編みも東南アジアなどからの輸入で産業が衰退していきました。伝統的な装飾品の需要が低迷を受け、その打開策として村の女性たちが始めたのが、なんとレース編の伝統技法を使ったセクシーな下着作り。当初は村人の間で反対の声もあったそうですが、結果的にこれがインターネット等を通じて世界へと広がり、世界中から注文が殺到。こうして、コニャクフの伝統的なレース編みは見事な復活を遂げたのです。この復活の物語は、ベティナ・オベルリ監督の映画「マルタの優しい刺繍」のポーランド版とも言われています。 現在も、村の女性たちの完全ハンドメイドによるランジェリーが制作されています。当店では取り扱いはしておりませんが、興味のある方は是非インターネットで調べてみてください。このように、古都もまたポーランドの織物産業の歴史を我々に教えてくれています。ポーランドと織物の関係は、知れば知るほど奥深いと言えます。 企画・編集 株式会社アヴァンサ
これからも、株式会社アヴァンサは日本でのポーランドランジェリーの更なる普及を目指し、各メーカーとの関係強化や新規メーカーとの契約などに取り組んでまいります。
奥深き栄華と伝統の香りが漂う、数々の伝統に彩られたポーランドのランジェリーたち。その奥ゆかしさを、株式会社アヴァンサを通じて、多くの方に体感していただければ非常に嬉しく思います。一般小売をご希望のお客様は弊社運営オンラインショップ「スプラッシュ」にてご購入をお願い申し上げます。株式会社アヴァンサ(以下、当社)が運営するウェブサイト(以下、当社運営サイト)に掲載している文章・写真・イラストなどの著作物は、日本の著作権法及びベルヌ条約、WIPO著作権条約の国際条約により、著作権の保護を受けています。これらの情報を私的使用及び引用など著作権法などにて認められた場合を除いて、当社及び当社運営サイトに無断で転載、複製、放送、送信、販売、貸与などの利用はできません。また、掲載情報の抜粋や要約についても著作権法に抵触する場合がございます。